私が 「摩崖の里・大島石物山」を具体的に創設しようと決心したのは、大分県の小さな城下町臼杵市を初めて夫婦で旅をした五十歳の時です。「臼杵石仏」といわれる草深い深山の里にある六十余体の気品高い摩崖仏の群れに倦むことなく三度ほど訪れました。

崖から浮き出すように彫られた三尊像や崖を登りつめた所にある如来像、神秘的な表情をした大日如来像などに出会い、これらの磨崖仏に深い関心を抱き、それら仏像の造形の美に深い感動を覚えた時のことを思い出します。最初の一度目は、単なる物見遊山の心軽い散策的な気持ちで歩いておりましたが、二度,三度と回を重ねて歩いて行くうちに何とはなしに自分の心の内に小さな興奮が芽生えたことを覚えています。臼杵石仏の仏像の造形美に感動しつつ、三度目を歩き終わる頃には自然に恵まれた九州のいずれかの地に自分自身が思い描く摩崖仏を配した自然の里を創設しようと心に決めたことも、今はなつかしい思い出となっています。そしてちょうどこの時期は就寝するときには仏教の歴史をひもといてみたり、自分自身の心の拠り所として、小さな磨崖仏や地蔵菩薩像を彫ってみたりしている頃でもありました。また祖父が生きていて 貧しくても心豊かであり、家の周囲の山河を自分の庭のように駆けずり回った昔を回顧する時、物質的な豊かさを享受している今の方が、心を充たす何かが欠落していることを強く感じていました。故郷は自然が豊かな天草の上島というところにあります。摩崖の里創設の候補地を訪ね歩いても、諸事情により叶わなかった私は、結局故郷のこの地でその実現に挑戦することになりました。 「衣食足りて礼節を知る」という言葉があります。昨今の世相の乱れを目にしたとき、物に恵まれた今の飽食の時代の渦中で、人の心は物の世界から心の世界を求め、心の癒しを精神世界の中に見出そうとしているように思います。前述の百年計画にあるように、摩崖の里大島石物山の根底には人が生活を営む以上、水田のような人工生態系のシステムがすべての産業に活用され、循環型社会の実現を目指さなければならないであろうという環境保全の視点があります。

大島石仏山御堂建立委員会

日本・中国合同中國調査団

団長 九州大学名誉教授…………………………………青木 正夫

日本・中国合同調査団、龍門石窟構成顧問

中国西安建築科技大学名誉教授…………………………周  若祁

立案・構成・説明文・建築基本設計……………………大島 静喜

建築実施計画………………………………………………佐伯 正彦

現場管理……………………………………………………坂田 道治

石垣施工……………………………………………………園田 伸吉

                        坂田 道治

                        坂田 慎治

摩崖仏彫刻(ネパール国家芸術アカデミー認定アーティスト)

                      Baraili Manjul

                   Rai Ganesh Kumar

                     Rai Ram Kumar

                  Paudel Shiva Rahadur

                  Bishwakarma Shibash

                  Rajbanshi Chatur Lal

壁画施工……………………………………………………山本 勝美

構成顧問……………………………………………………澤田 耕司  

                        岩野 次雄

施主…………………………………………………………大島 静喜

                        大島美恵子