本計画は熊本県上天草市松島町教良木地区の山麓に、磨崖仏を主とした石仏群を造顕、配置し、自然の中に調和させて、仏教の本義の表現をテーマとした精神的空間を作ろうとするものである。
契機
構想の契機は、経済大国となった日本の現在の物質中心思考の行き詰まりの中で、価値観の混乱きたし、生きることの目的を見失いがちな私たちの日常と、世界最長寿国日本に訪れつつあるこれから高齢化社会の現実を考え、現在から未来に渡り、充実して生きるための心のよりどころとなり得る、精神の解放と精神文化への希求の空間が必要とされていると考えられることにある。
目的
1,仏教的精神文化の捉え直し
私たちの長い歴史の中で、ともすればその利便性と形式のみを取り入れ、その本義をないがしろにしてきたが、古来、私たち自身の実生活と精神生活の規範となってきたものの1つに仏教的精神文化がある。仏教の本来の教義は、宇宙の成り立ちから説く、広大深遠な哲学であり、私たち一般生活者に容易に理解し得るものではなく思える。 その広大深淵さ故に、様々な教義解釈や新教義が生まれた。殊に歴史上の混乱期には必ず林立し、あるものは今に伝わり、あるものを淘汰されてきた。今日でもまた、新たな教祖と教団が起こり、仏教世界を説いているが、一方では教団組織の”唯我独尊”を誇る余り教義とは無縁と思える理解不可能な争いを呈している。このことが、この時代の混乱期に、仏教に心の拠り所を求めようとするものをその入り口で強くさせている面もある。しかしながら教義理解の程度の深淵にかかわらず、教団宗派の程度のかかわらず、教団宗派の帰属如何によらず、私たちの心の中には今でも神仏に対する畏敬の念は、日常の意識、無意識の中に生き続けている。私たち日本人は、時代による要否の強弱はあれ、そのような日常文化の中で生まれ、育まれて生きてきた。今、物質文明の中での精神の空洞化に対峙し得るものとして、改めて、この仏教的精神文化を捉える。
2 心の広場の構築 本計画は現在及び未来の精神文化への希求に対し、私たちの骨肉に潜む仏教的精神文化のとらえ直しを1つの窓口と考えて提示するものであるが、特定の教義解釈を宣布しようとするものではない。いずれの教団宗派にも関わらない。その目的は石物を刻み、立てることによって、本来の仏教の基原とその表現である仏像の持つ意味を系統的に正しく理解しようとする、してもらおうとする試みであり、時間と空間と超えて、先達が築いてきた仏教芸術の素晴らしさを学び、踏襲しようとするものである。人々の心のよりどころとなる精神空間(心の広場)を共に築く一つの場を提供することである。